bambina+ blog

column:わかってきたこと。 2011 年 10 月 18 日 火曜日

昨日の話(映画楢山節考における人間の考察)の続きですが、最近わかってきたこと、最近思うことを書いてみたいと思います。

まず人間は動物の一種であり、自然の一部です。
牛や馬や犬や猫、鳥や魚、蟻やハエと何ら変わらないただの動物です。
ただ生まれてきて死んでいくだけの存在です。
人間には誰にも生まれてきた使命がある、とかいう話はうそだと思います。
蟻やハエに、生まれてきた使命があると思いますか。
もし人間だけ特別な存在だと言うなら、それこそ傲慢な考えではないでしょうか。
人間もただ生まれてきて死んでいくだけ、他の動物と同様に。
だから生きる意味とか、人生の意味とかははじめからありません。
あるのは偶然と、生きているという事実だけです。
だからこそ、ただ生きるということに価値があります。
つかの間の人生を精一杯生きる、それに尽きます。
偶然与えられた命を、思いきり燃焼させて、ただただ生きる。
それが全ての動物がやっていることです。
人間も、生まれてから死ぬまでを精一杯生きることだけが、人生の価値ではないかと最近思うようになりました。


最近そんなことを考えていて、楢山節考を見たらまさにそれがテーマだと勝手に思ったので、改めて書いてみました。

column:脳と身体 2011 年 4 月 11 日 月曜日

今回の原発問題を見ながら、
「脳と身体」ということを考えていました。

これは養老孟司氏の本を読んで初めて知った概念なのですが、
都市=脳、自然=身体、という概念があります。
つまり、都市は人間の脳が作り出したもの。
そして、自然は人間の身体と同じく脳の思い通りにならないもの。

その意味で今回は
原発=脳
地震、津波=身体
と言い換えることができると思います。

原発は、まさに脳が作り上げた究極の作品です。
わずかな物質から莫大なエネルギーを生み出す、科学者の夢の産物です。
一方、地震と津波はまさに自然そのもの、脳がコントロールできないものです。


養老孟司氏は、現代社会を「脳化社会」と呼び、
人間は脳が作り出した都市に住み、全てをコントロールできると錯覚している、と警笛をならしていました。
自分の身体すらコントロールできないのに、と。(脳の意思とは関係なく病気になったり死んでしまったり)

むしろ脳は身体(自然)に簡単に影響されてしまいます。
例えば、風邪を引いただけで絶望的になったり、
快晴になっただけで希望に満ちてみたり。

それだけ脳がいい加減(よく言うと柔軟)なものであり、
人間はもっと身体を重要視した方がいいという話でした。

今回の原発事故は、
脳の力を過信しすぎた人間が
自然から受けた当然のしっぺ返しのような気すらします。

想定外という言葉がよく出ていますが、
むしろ想定外なのが自然であると言えると思います。
脳が想定できないもの=自然。

それを原点に対策を立てていれば、また違った結果になったかもしれません。
例えば、もし10メートル以上の津波が来た場合はどうなるかどうするか、を考えておくとか。

原発と今後どう向き合っていくか、
というのは非常に難しい問題ですが、

私が一つだけ絶対に許されないと思うのは
高レベル放射性廃棄物の問題です。

日本では原発から出る使用済み核燃料を、地中深くに埋設する予定です。
しかしその埋設場所はまだ決まっておらず、
その廃棄物が安全になるまで1万年以上かかると言われてます。

なのでNUMO(原子力発電環境整備機構)は、岩盤が硬く、地震が起こらないような場所を探している、ってこれはほとんどブラックジョークです。
1万年後の地球と人類にまで責任が持てるわけがありません。

数十年後には、原発はなくなって、全て自然エネルギーになっているかもしれません。
それかもっともっと安全で安価な原発が大量に稼働しているかもしれません。

そう考えると、ここ前後100年くらいが人類にとっての過渡期であるような気がします。
脳化社会から次の社会へ向かうための。
人類がこの過渡期を乗り越えられることを祈ってます。

column:家具デザインの潮流1 2010 年 6 月 22 日 火曜日

column:家具デザインの潮流 その1
Polder Sofa by ヘラ・ヨンゲリウス

こんにちは
キムラです。

現在の家具デザインの潮流について書いてみます。

追いかけるか追いかけないかはあなた次第です。

私は現代の家具デザインの流れは、一応気にしています。
もちろん木の家具のだけでなく、あらゆる種類の家具についてです。


マーティンバースのクレイファニチャー

家具をデザインして作っている人でも、「自分の中から出てくるデザインのみを信じる」などと言って他人のデザインに全く興味を持たない人もいますが、それは単に怠惰なだけであって、よほどの天才でないと口にしてはいけないセリフだと思います。

「守・破・離」という言葉があるように、一旦は既存の技能、アイデアを吸収した上で、そこからそれを破り、離れていくことによってでしか真にオリジナリティのあるモノは生まれないと思ってます。

さて、ここで私が感じる現代の家具デザインのおおまかな潮流をいくつか挙げてみたいと思います。

1 クラフトへの回帰
2 リサイクル、リユース、エコロジー
3 新素材、新技術
4 コミュニケーション

とりあえず思いつくのは4つぐらいですが、また思いついたら紹介します。


ピートヘインイークのリサイクル家具

それぞれ簡単に説明すると、

1クラフトへの回帰は、人々が癒しを求め、また人と違った差異を求める現代における必然として、クラフト=手作り感のあるもの(必ずしも手作りのものではないことに注意)への興味が大きくなっているという流れです。自然素材、一点モノ、アシンメトリーなどがキーワードです。

2リサイクル、リユース、エコロジーは、まさに今一番強い流れです。何かに使われいたものを家具として再利用する。bambina+のデニムチェアはこの発想から生まれました。

3新素材、新技術は、常に新しい家具デザインを生み出します。例えば、温度によって色が変わる素材、3次元のコピー機(物体成形機)、などです。

4コミュニケーションは、これからますます注目される流れです。コミュニケーションのための家具、というとわかりにくいですが、例えば、組み合わせ方で会話が弾むような配置になるテーブル、などです。

今回はクラフトへの回帰ということで、ヘラ・ヨンゲリウスのpolder sofa(ポルダーソファ)を取り上げてみたいと思います。

ヘラ・ヨンゲリウスはオランダの女性デザイナーでpolder sofaは2005年の作品です。(オランダはサッカーだけでなくデザインでも最先進国です)
こちらです。

Polder Sofa

オランダの干拓地<ポルダー>をモチーフに、水平ラインを強調したオリジナリティあふれるソファです。
微妙に色の違う生地を用いたり、装飾性あふれる様々なボタンを使用したりと

まさに手作り感のあふれる家具になっています。
アシンメトリーな構造も、手作り感を増幅させます。

色も5種類、サイズも3種類あるそうです。
こちらは赤。

クラフトへの回帰を象徴する作品として今回取り上げてみました。
購入希望の方はこちらへどうぞ→hhstyle.com

この作品に影響を受けたかどうかは自分でも判別できませんが、bambina+において、最もこの発想に近い作品がこちらです。

ホールテーブル「ウィンク」
チェリー材 ¥100,000

アシンメトリーな構造、手作り感あふれる取手など、同様のインスピレーションを取り入れています。ウィンクという名前は、、見ての通りです♪

bambina+では、今回書いた家具デザインの潮流の1と2あたりに焦点を当てて、これから世の中に新しい家具デザインを提案していければと思っています。
いずれは世界に向けて発信するというのが一つの目標です。

また気分が乗ったときに、その2を書きます。。

column:デザインのパクリ 2010 年 5 月 23 日 日曜日

こんにちは、木村です。

今日はデザインのパクリについて書きたいと思います。

クリエイターとして、誰かのデザインの真似をするというのは最も恥ずべき行為であり、誰かのデザインに似ているということは侮辱以外のなにものでもありません。

しかし巷には他人の家具デザインを真似する人があふれています。
趣味でやってる人はいいと思いますが、仕事でそれをしてはいけません。

有名な木工家の家具を真似する、あるいはそっくりそのままに作る人すらいます。
それが自宅用や、練習のためであればまだ許されますが、それを売ったりしてはゼッッッタイにいけません。

法律的にも意匠権の侵害ですし、それ以前に家具製作者としての意識の問題の方が大きいと思います。

そういう人は憧れの木工家に一歩でも近づこうとして全く同じモノを作るのかもしれませんが、実はそれが真逆の行為だと悟るべきです。オリジナリティを追求する、という観点において(一流の木工家は必ずそうだと思いますが)一流の木工家は絶対にやらない行為ですし、最も嫌いな行為であると思います。

ここで注意しないといけないのは、「パクリ」と「リ・デザイン」の違いです。
「リ・デザイン」とは、古いデザインを新しいデザインとして生まれ変わらせること、です。

「パクリ」は表面的に真似をするだけですが、「リ・デザイン」は、古いデザインを自分の中で解釈、咀嚼して、そのコンセプトは生かしつつ、そこに自分なりのアイデアを付加して新しいデザインを生み出す、という似て非なるものです。
リデザインはデザインの一手法であり、実際に多くのいいデザインがそれにより生まれています。

例えば、明朝時代の中国の椅子からリデザインされたウェグナーの「ザ・チェア」

古いデザインよりいいものが生み出せて初めて、リデザインが達成されたと言えると思います。

少なくとも、自分で看板を出して家具屋をやっているのであれば、人のデザインをパクるという最低の行為はただちにやめましょう。

column:デザインと造形 2010 年 4 月 21 日 水曜日

こんにちは 木村です。

今日はデザインと造形について書いてみたいと思います。

というのも一冊の本を読んだからです。


「小島伸吾 家具 NHK工房探訪・つくる10」 日本放送協会出版

小島伸吾氏と言えば、日本を代表する家具作家であり、この本はそんな小島氏に関する唯一と言ってもいい資料です。

私は訓練校時代にこの本を図書館で借りて読み、強い衝撃を受けました。当時は全ページをコピーして持っていましたが、最近また気になったのでネットで探して、入手することに成功しました。

あらためて家具の写真を見て、その造形の美しさに惚れ惚れとしました。

ある人は「QUEENの音楽は100メートル先からでもQUEENとわかる音楽だ」と、そのオリジナリティーを絶賛しましたが、小島伸吾氏の家具も、まさに「100メートル先からでも小島氏の家具とわかる」ほどの個性を持ち合わせています。


樺チェスト 胡桃チェスト


ウォルナットカップボード 楢カップボード、ダイニングセット


樺センターテーブル

ご覧になってわかるように、小島氏の家具は「デザイン」というより「造形」という言葉の方がふさわしいです。

まさに「家具の造形美」です。

家具を作る、という同じ仕事をしていると言うのがおこがましくなるほど、私が作る家具とは全く違いますし、素晴らしい仕事だと思います。

小島氏はその昔ジョージナカシマの家具を見て、これと同じ道を言ったらアウトだ、と思ったと書いていました。ジョージナカシマの自然をそのまま生かすセンスがとても真似できないと思ったそうです。

ジョージナカシマのコノイドベンチ

それになぞらえて言うなら、私も小島伸吾氏と同じ道をいったらアウトだという気がしました。とても太刀打ちできるとは思えません。

デザインと造形。

似ていますが、異なる言葉です。

デザインといえば、一般的には見た目の形を意味することが多いですが、本来はコンセプト、素材、その他もろもろも全て含む広い概念であり、モノ作りの全ての計画とも言えると思います。

一方造形というと文字通り形造ること、特に手で形造っていく、というニュアンスが含まれており、さらに芸術という意味合いが含まれてくる感じがします。

私は「造形」というものにも興味がありましたが、小島伸吾氏の家具を見て、自分のすすむべき道ではないと思いました。そして私が目指す道はやはり「デザイン」ではないかと気づきました。

一点もので非常に手がかかった芸術的作品のような家具ではなく、ある程度の普遍性を持ったデザインのある家具、そこを目指すべきではないかと。

将来自分がやるべきことについて、いろいろと迷う時もありますが、この軸だけはぶれずにこれからやっていきたいと思います。

他人の圧倒的な仕事に触れることで、自分の目指すべき道が明らかになる、ということがあるとは聞いていましたが、今回それを体験しました。

p.s.ただ小島氏のような家具を作ってみたいという衝動も少なからずあるので、今後その影響を受けたような家具を作るかもしれませんww